師走

2023.12.07

久しぶりに長く文字を打つ。年末は、自分の意思とは関係なしに過去のことを振り返ってしまう。

高校時代に同じ部活に入っていた人々から、「就職前」に全員で集まろうと案内が来た。たしかに仲が良かったし、愉しい思い出でもある。でも「普通」から外れている自分は最終的な壁を崩すことができなかった。

過去の人々と会うと決まって聞かれるのは、「恋人はいるか」「卒業後はどうするのか」「今はなにやってるの」。どれも答えたくない。世間一般の「普通」には当てはまらない自分の背景を「普通」の答えを想定している人に知らせることもしたくない。

しばらく帰れないから、ごめんね。と嘘をつき、「欠席」と返答した。

過渡期。

電車の中で本を読む。座席に座れたので、周司あきら『トランスジェンダー男性学』をカバーをつけずに読み進めた。

労働は自分の身が削られる行為だ。詩的な表現でなく、私は鰹節を思い浮かべてしまう。がりがりと削られては、ふわふわの鰹節が舞う。心身を削って賃金を得る。

しかし、労働をしっかりめに開始した後の自分の手元には自由に使えるお金が生まれて、読みたい新刊を何冊か買えるように生活が変わった。労働によって得た賃金を使って得た本を読んで、削られた部分を取り戻していく……。

どちらがよいのだろう?

削られた部分+少し新しく補う読書をする生活と、時間はあっても読めない本がたくさん生じる手持ち無沙汰な生活と。わからない。

カフェで村上春樹の短編集を読み返した。

好きな文にシャーペンで括弧をつけながら読む。

時どき、僕の頭はとても単純なことで混乱してしまうのだ。人はなぜ病むのか、とか、そういったことによって。

―「めくらやなぎと眠る女」

セックスは冬の博物館とか、女性がジョッキを持つ様子を「巨大なペニスを讃える」と喩えるとか、(分からないわ)と冷ややかに感じてしまうところもあるけれど。

それでも、後書きで「理由はうまく言えないけれど、小説を書くことはとても好きです。」と書いてある彼の文章を見て、心底安堵して、じわりと嬉しくなってしまったのは。やはりわたしは彼の小説が好きなのだろう。

冷たくなった心臓の隙間に入り込むような文章を紡ぐ作家。

死なないでほしい。置いていかないでほしい、と思ってしまう。

割と本気で、折坂悠太さんの新曲だけが、憂鬱に呑み込まれていたここ最近の自分を繋ぎ止めてくれている。

数年間一緒に年末を過ごしていた人間と、今年は会わないことにした。なった。過渡期。

本日の水面。


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