紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

スタンディングに初めて参加した

2023.12.09

新宿アルタ前で行われたスタンディングデモ「Queers for PALESTINE」に参加した。

 

今日は午前中に用事があってやや都心部に移動していたので、もしタイミングが合えば(=間に合えば)参加したいと思っていた。

用事が終わり、駅ビルの100均で比較的硬そうなクリアファイルを買う。(ギリギリ30分は参加できそうだ)と思い、急いで駅ホームに走ると目の前に目当て時刻発の電車が到着した。

そのとき、左手中指に着けていた曇ガラスビーズ造りのAroリングが無いことに気づく。慌てて駅ビルに戻り、外した記憶のある化粧室に引き返したらリングはそのまま置かれていて、安堵から少し泣きそうになった。クィアとしての自分を認める気持ちで購入した物だったから。どんなときでも焦りはよくない。

電車内でプラカード用のネットプリントを配布してくれているアカウントを探す。

 

新宿駅に着くと、ホームに到着した途端に(内容は聞き取れないが)拡声器からの声が聞こえてきていた。twitterを見ると、数分前に「街宣車の妨害にあっている」「警察が多い」という呟きがあり緊張した。

東口から出ると「Queers for PALESTINE」ではない他の団体が"パレスチナでの虐殺をやめろ"という訴えをしているのが真っ先に目に入った。また、その他のいくつかのスタンディングデモが重なっていたようで、とにかくたくさんの人がいた。

 

その後ろのアルタ前で「Queers for PALESTINE」スタンディングデモは行われていた。

デモの参加者ではない人々の波に流されるようにして、私はアルタの中にあるコンビニのコピー機を目指して歩いた。一度、「Queers for PALESTINE」の前を通り過ぎる。そのとき、デモ参加者ではない人波のなかで交わされる言葉が聞こえる。

「今日すげえなあー」、「日本のことじゃないじゃん」、茶化すように「平和最高!」と叫ぶ若者。

 

「Queers for PALESTINE」の前には、団体を囲むように何人かの警察と柵が置かれていて、正直、自分は今からここに入るのだと思うと、ここまで来たのに少し怖気づいた。もしこの団体が「Queer」を掲げていなかったら、参加したい気持ちはあっても、心細くて遠くから眺めることしかできなかったかもしれないと思った。

当たり前だけれど、社会運動とは社会に抵抗することなのだ。それを実感した。

 

コピー機で「Queers for PALESTINE」と書かれたプラカードを印刷した。スタンディングの残り時間が僅かになってしまったので、エスカレーターではなく階段を駆け上った。

プラカードを持って「Queers for PALESTINE」の団体に柵の端から入る。一人で来たから、勿論知り合いはいない。プラカードを掲げて立った。

コールには参加しなかった。デモの趣旨には賛同できても、同じ言葉を大勢で一斉に言う行為には抵抗があるという個人的な考えから。団体の中央から少し離れた端に立つ人々の中には、コールや拍手に参加していない人も多かった。それぞれのやり方で連帯している。

途中、twitterで繋がっている方を見かけたので話しかけた。"Free Palestine / Stop the Genocide"を訴える他団体の署名にもペンを走らせていたり、他団体に向けて手を振っていたりしている姿を見て、勝手に励まされる。少し話しただけだけれど、知り合い(初対面)の方がいて無意識の緊張が解けたように感じた。

 

私がただ静かに「Queers for PALESTINE」と書かれたプラカードを掲げて立っていたら、外国語話者の方が一人で、涙ぐんだ笑顔のような複雑な表情で、私のプラカードの写真を撮っていた。その様子を目にして、私が今日ここに立った意味はあったのだ と思った。