2024.6.XXXXXX
・三晩お酒を飲み続けた翌日。目覚めた瞬間に「帰宅後即就寝」を決意して労働へ行った。誰も居ないときには小声で歌を口ずさむ。そういえば誰も「お先に失礼します」と言わない。休憩の時も「休憩行きまーす」「戻りました」という事実ベースの声掛けのみで、すこやか。
・林史也『煙たい話』の1-4巻を買った。今だなというタイミングだった。ロマンティック要素が基盤にない同居について実際と大変さ、良さ(と私は受け取った)を聞いて、その上でやはり私は一度他者との同居を実践してみたいなと思った。そんな自分が意外だった。グッドタイミング。
・クィアやマイノリティの属性を持つ人々と現実で邂逅するとき、snsよりも陽気な?印象を抱くことがあり(もしかしたら自分もそうかもしれない)、この感じで思想と行動価値観が一致している人々がこの世界に実在していることを感じられるのがとても嬉しいなと思う。私自身もだよ。
・バチイケな友人(しっかり話したのは初めて)に言われたことを思い出す。書き留めたいことが多すぎてメモする余裕がなく、記憶の断片が今も脳内を浮遊している。“その友人メモ”当日に記されているのは、ツルヤのジャムのことが主であった。友人は洞察力に優れており、こういうところあるでしょ?と言われたことが私の実際の人間性と全一致レベルだったため、占い師じゃん!と思ったが、どちらかと言えば探偵のような推理の方式に近いのかもしれないなと後で思った。9時間程話し続けた内のわりと最初の方に「スマホの画面を消さない癖があるので気をつけた方がよい」と注意喚起されて、たしかにそうなのかな?と思いつつ席を立って戻ったら私のスマホ画面がついていて、本当にそうだった。というか思い返せば他者撮影写真に写りこんだ私のスマホ、半分くらいの確率で画面がついていた。ホームズとワトソンの初邂逅時の「軍医当て」場面じゃん。特殊能力持ちのバチイケ友人である。
おそらく友人と私は政治的・社会的な思想は似ているが関係性の在り方や指向、性格は異なっている部分も大きくて(私にとって共感の対極にあった文章や登場人物にその友人は共感していた)、だからこそ私を超俯瞰的に見て、私の全く思いつかないところから意見をくれる。私にとって気まず困ったなあな場が発生した想定の話をしていたとき、「そうなったら○○(バチイケ友人)の家で餃子包むから行きません☆って言えばいい!」と言われて、自分の関わり多めの場を抜けちゃうって発想がなかった私にとっては「そっか、私が抜けちゃえばいいんだ!」とびっくりして救われた。そんなパーティー抜け出しておれと踊ろうぜの更に好きバージョンである🥟「破滅と狂気」を映画に求めているという友人は、私の話に対しても「~してサークルクラッシュさせろ!」など破滅へ突き進めようと煽る側面があり、なんかそうやって私を面白がってくれる姿勢がとても愉快だったし、その後「破滅」ではない実用性のある提案もしてくれるので一石二鳥すぎた。会話と洞察を通して人間性への理解を深めた後に「面倒なことになりそうだから坂と○○(他者)は絶対一対一で会わせない☆」と言われるなど、両方向に正直すぎるところが私は好きだ。友人から分けられた視野=私の自由の保持のために気をつける事リストを胸に生活をやっていこうだし、クジラとして生きよう。「また来月も会お!」と言われてめちゃ嬉しさと共にグータッチ解散。
・私が思うよりもインターネット繋がりの人々は私の文章などを見ているようである、ということが分かり、驚いた日々だった。日記について「結構私的な内容だから見て良いのか分からないけど」と言われて、その視点は全くなかったのでとても驚いたし、そのように驚いて初めて私は私の日記を見られることに鈍感であるということや日記をどんな感覚で書いて共有しているのかという点について考える手がかりを得た。人々から「日記読んでます」と言われたとき、「ありがとうございます」と返すこともあったけど、実際は読まれて恥ずかしいとか嬉しいとかいう感情がプラスにもマイナスにも生じなくて、自分の日記に対する自分の感情は「(私の日記がインターネット上に)ありますよね~」みたいな感じである。ただ漂流させているというだけの存在。
・共通の知人が多い方との邂逅を果たした。そのとき私はすっぴんだったため、今後怖いものなしである。人と会うときにはキメキメな自分でいないとうわあってなっちゃう(過去ルッキズムの傷大きめぽい)自分にとってはびっくりだったけど、そういう初対面もある。その方は髪色とリップの色が素敵だった。正直ほとんど情報としてはその方のことを知らない段階なのに、(私的に)バイブスの一致が大きく短い時間ながらもずっとお喋りをしていた。「私はギャルじゃないけど仲良くしてください」って言ったら「ギャルの素質あるよ?最初話したときから感じたもん」と言われて何だか歓喜。私が本名を名乗ると「三島由紀夫の小説に出てきそう」と言われて、褒めの角度にふわわとなった。内容の詳細を記憶するというよりは、フィーリング会話がとにかく楽しかった。「夜の共有」の話を夜行性のニンゲンたちで話した。またどこかの場で必ず会いたい。
・少しの間、座敷童として生活した。さまざまな人と会えて、分かりあったり分かりあわなかったりしながらたくさんの会話をした。
・ここでいう“空間”は、その場にある物体や発生する事象、人間などの全てを包摂する概念である。そして、その空間の流動的な側面ではなく固定的な側面を指している。私はその空間を訪れると安心するし、安心した後に、世間一般からは様々な角度から逸脱していて、その上に時折故障しても、それでもやっていこう、生きようという気持ちで外の生活に送り出してくれるような空間であると勝手に感じている。感謝をして、また生活をやっていこうと思える。
・私が何者であっても、あなたが何者であっても、生きてまた会えればそれでよい。そう思える他者たち(本当は他者という言葉単体で使いたいのだが)がいることは、おそらく幸福である。このように思いながら、私はひとりの時間に戻る。買った本ともらった本を枕元に積み重ねて置いて眠った。
・ある場所の写真をあげたら友人から「同時間帯に同じ場所にいたよ!」と言われて、それぞれがそれぞれに“〈友情〉の現在”してるじゃん!アツすぎ〜ってなった。会わないのも会うのも友情だよ。
・「訊かれたからって答える必要はない」と言ってくれた友人の言葉を胸に留める。『違国日記』の「ほんとうのことを書く必要もない」という台詞と併せて。私は今、書かない練習を/も重ねている。
・追記)相変わらず、音楽の端々を脳味噌にぶち込んでいく日々を過ごす。