紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

自分が自分にかける迷惑/困難は矮小化される

2024.6.14

自分にとってかなりショックを受ける出来事があった。絶対に行かなければいけない用事(相手がいる約束)があり、電車に乗って論文を読んでいたら知らぬ間に降車駅を大幅に乗り過ごしてしまい、車内を回ってきた駅員さんに話しかけられてようやく自分が降車駅を通り過ぎていたことに気が付いた。寝ていたわけでもないのに降車駅を通り過ぎていた私はおそらく過集中の状態にあって、周りの景色の変化や車内案内に全く気付かないまま論文を読んでいたのだと思う。有難いことに駅員さんは優しく一番金銭的に負担の少ない方法(相殺含む)での折り返し手段を案内してくれたので、それに従って一旦遠く知らない駅で降りた。約束していた方には謝罪の連絡をして、約束事は後日に延期していただいた。

昔から不注意(忘れ物が多い、予定管理が苦手など)や過集中、脳内を思考が永遠に飛び交っているなどの傾向はあったけれど、それによって困るのは自分だけであった。しかし今日、自分の意識上では初めて自分のその性質によって他者に迷惑を掛けてしまった。非常に落ち込んでいる。

たとえば、私は「忘れ物をしない」ということのハードルが高い。そのため、教科書など様々なものが完璧に必要な高校時代までは特に、毎日持ち物に関してはピリピリと緊張しながら登校していた。毎日が遠足の前日みたいな感じ?で、その感覚を母に話すと「ほんとうに?笑」と冗談ぽく受け取られて、みんな(多数)は持ち物に緊張しないで日々を過ごしているのかな~と思ったけど結局分からなかった。今もバッグを変えると持ち物があちこちのバッグにいってしまったりするし(しかしバッグは服装によって変えたい)、バッグを変えなくても物を決まった場所に置くということがなかなかできない。大学に行く日や出掛ける日にも完璧な持ち物セットで外出できた日は「やった!」と思うくらいなので、持ち物への緊張感は常に抱いている。

また、予定管理が苦手な分かりやすい例としては、毎週同じ曜日にある授業の時間を完全には意識しきれず、自分のことが信用ならないので、毎週繰り返しの予定としてスマホのカレンダーに登録している。同じ大学で授業を受けて4年目だが未だに〇時限目の開始時刻は〇時〇分ということに確信を持てないということもあり、念のためというのもあってそれを毎週確認し続けている。つまり、私のスマホカレンダーでは半年間毎週同じ授業の予定がリマインドされ続ける。それはわずらわしいけれど、そのわずらわしさによって自分が授業を意図的にではなく欠席してしまう可能性をほぼゼロにできるのだとしたら、その実践を選ぶという生活をしている。ちなみに、家で受けられるオンライン授業と私の特性の相性は最悪で、コロナ渦でのオンライン授業は時間感覚の乏しさによって何度も欠席してしまい、翌年の一年生に交じって取り直した必修科目があった(たぶん比較的真面目な性格なのに)。

過集中は、正直自分であまり意識したことが無くて、今日の出来事があって初めてはっきりと意識させられた性質。おそらく過集中にあるとき、私は私自身のことにすら意識を向けていないので自覚することもできないのかもしれない。しかし、発表や大事なレポートの提出前は決まってそれ以外の実生活がぐちゃぐちゃになり、終えたあとに大片付けや大睡眠をとるということが自分の中では毎度おなじみの現象となる。あと、終えた後には大抵胃が小さくなっていて食事量が減少することから、たぶん過集中の最中の自分は食欲が減っているのだろうなということが推測される。精神面は特に問題ないのだけれど、肉体がボロボロになりやすい。今も爪がばきばきに割れかけていて、ですよねーと思っている。

数年前に大学の授業で1年間2講義、発達障害に関連した授業を取っていた。関心を抱いて受講していたこともあり、そのときに一応基礎的な知識は得たと思うが、まだまだ多くの知識には触れられていない。発達障害か/そうでないか、定型発達か/非定型発達か という特性は二元化されず、スペクトラム上にある。私は今まで私のやり方で、私が私に迷惑をかける頻度を減らして生活していた。しかし、今日その“迷惑”の矛先が初めて他者に向いたことによって、今までも生じていたその“迷惑”の存在が途端に顕在化された。私が私自身にかける“迷惑”は、見て見ぬふりをしてきた。それを繰り返すことで、なんとかなってしまうから。その“迷惑”、つまり困難を、自分自身の内側の事だからと矮小化して生きていたのだった。そのことに気付かされた。

もしかしたら、この文章を読んで、「普通」だよと思う人や、「普通」ではないと思う人がいるかもしれないが、こういった側面を他者と比較したことがない私にはそれらが分からない。よってそのままの自分を記録する。

今日の夜風は心地良くて、窓を全開にして風に当たりながら今日あった全てを無に還したいと思ったけど、これが私であり、無には還らない/還さない。これからどうしよう?と思いながらも、今までと地続きのままで生きていくしかない。

ただ、不注意や過集中をある程度(この「ある程度」という意識が大事なんじゃないかなと思う)コントロールできるようにはなりたい。このままの状態で院生になると、たぶん自分の特性と大学院の環境は悪い意味で親和性が高くて、壊れてしまいそうということもある。

これからたくさん本を読んでいきたい。読むぞ!