紺色日記

fiction.

0707

起きた瞬間の身体の中心が沈むように重い感覚に ああこれは、となった。ここ数ヶ月は睡眠時間が短く最近は5時台に目覚めてしまうこともあったのに、スマホを見ると今日は9時半。そして昨日の私は計10時間程眠っていたはずである。過眠だ。そして、目覚めたときの 消えたいな という感情は完全に覚えのあるものだった。こういうときは処方された頓服を飲んで、という手順まで思い浮かぶ。

つまり、心身が鬱傾向に近づいたということなのだろう。

 

最近ちょっと元気がなくなってきたかも、という感覚を抱き始めたきっかけは明確で、7月に入って以降、話したくない人から連日1日2回電話+メッセージが来るようになってから。私が仮眠を取っているときにスマホのバイブレーションが鳴ったので「アラームかけたっけ?」と思いながら目覚めてスマホを操作しようとするとその人からの着信だったということが何度もあり、ワンタップで着信に出る誤操作をしてしまいそうになる度に怖かったし、着信ではなくても通知が来るたびにその人からの連絡かと思うと心臓がキュッとなって、ずっとひやひやしていた。そういう日々の事実だけではなく、自分が長く信頼していた人(私が昔他の人から同様に一方的な連絡をされていたときにこの人に相談したら「嫌だね」とか言っていたのに)がこういうことをする人だったのだと思うと、それもまた精神的に堪えた。

こんなことかいてもしょうがないんだけど、誰に言うでもなく自分の外に出さないともっと苦しい。(と書いている間にも電話がかかってきて無理だ。)

ということで、朝起きて自分の鬱傾向を悟った私は着信拒否とブロックをした。自分の精神状態以上に重視しなければならない私的な連絡なんてない。

 

私は毎年夏になると鬱傾向が強く出やすい。今年は今までにない傾向として(診断されていない人間がこの言葉を用いるのは良くないことを理解し引き受けた上で用いると)躁っぽさが前面に出た生活をしていたから、今年の夏はどうなるのかな?と思っていたけど、季節のせいかトリガーとなる出来事のせいか今年も鬱傾向に近づいているらしい。外へ出て活動する意欲が削がれて、自分の中へ自分の部屋へとこもっていく感覚がある。(笑い話として、この事象について考えるたびに自分の本名に夏に関連する字が入っているのは笑えるなあと毎回思う。)

 

とはいえ、鬱傾向との付き合いにはもう慣れたものである。だからそんなに心配していない。

どちらかといえば躁傾向の方が今までに持ち得なかったものだったから、ただただ自分自身も周囲もぶん回しぶん回されてしまったように思う。完全に良かったとは言えないかもだけれど、このエネルギーに乗っていたら色んな素敵な人と出会えて。私にとってはそれはとても良いことだったし、好ましいことでもあった(/ある)。

 

鬱傾向といってもどん底からは大分離れた立ち位置にいるなあという自覚があり、エネルギーが削がれて内省的で少しネガティヴな自分に戻ったというだけかもしれない。こうやって文章を書いていても気付く、初期の日記に近いなって。今月の中~後半にも週一くらいで(調整した自分ナイス)人と会う予定があるけど、どうしようかな~とかは全く思わない。ただちょっと静かな私に戻った状態かも、ってくらい。

 

内省的な自分に「戻る」って書いたけれど、躁傾向と鬱傾向を併せ持つ(?)ことになってから度々、どちらの自分がジブンなのだろう?と考えることがあった。しかし、どちらの自分もジブンであることは紛れもないことであって、その両面に好きな要素と困る要素がある。そんな感じで、どっちの自分も自分として素直に愛せている。愛する要素:内省的な自分に立ち戻れたことは、それはそれで少し嬉しくもある。こちらの面には別の好ましい要素:家を好むため料理モチベが上がる もあって、昨晩もエビとひき肉で美味な中華にゅう麵を作って食べた。だから困ってはいない。