紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

10月―第4週の日記

2023.10.24

全然寝れないんだけど…?!となって、服薬(少し眠気を引き起こす副作用がある)を忘れていたことに気付いた。やっぱりまだ薬を飲まなきゃだめなのか、、と凹みつつも、朝散歩などで身体を動かした日はきちんと眠くなったし、がんばるかあと緩く決意。一応毎日移動で平均1万歩は歩いてるのだけどね、、あとは生活リズムか。

 

2023.10.26

図書館で岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』を検索したら貸出中だった。私が借りることはできなかったけれど、誰かが今この本を借りて読んでいるということに希望を感じた。

 

2023.10.27

昼ごはんに以前から気になっていたレシピでオートミールバナナパンケーキをつくってみた。

味付けとなるのはバナナと少量の砂糖、牛乳又は豆乳、オートミールの香ばしさのみだが、食べてみると何もかけずそのままで美味しいし、食後はからだが軽かった。

現状私はノンヴィーガンだけれど、いつかは一週間のうちの何食かを菜食にしてみたいと思っている。冷凍も可能ということで、軽く食べられる&持ち運べるし今後定期的につくって保存しておこう。

ここ最近の私は、性暴力被害とそのケアに関する情報にふれることができる心持ちらしい。

昨日は性暴力被害のことが書かれている本を読み終えて、次に読み始めた本も一部に性被害とフェミニズムについて書かれた本だ。今日は、少し前に話題になったけれどその時には読めなかった性暴力被害者が語る記事を読んだりした。推進力があるときの自分 という感覚がある。一方で、こういうときには近代文学があまり読めない(逆もまた然り)。それらは自分の読書傾向のなかで対極に位置しているのだろうか。

私がこういった情報に触れているのは、何のためなのだろうか?と初心に立ち返って思うこともある。もし今後自分や自分の周囲の人々が性被害に遭ってしまったとき、そのときの自分の最大限の力をもって行動したり、ケアをしたりできるようにという祈りの思いも理由としてある。

それは決して悲観的な思いではなくて、知識や他者の語りに触れることによって得たある種の強さと、ケアしケアされる弱さを持つためだと思う。

 

2023.10.30

月曜日だけど一緒に書いてしまう。

朝から小沼理さん(『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』の著者さん)のPodcastを聴いていた。

ep.11 角煮を煮る日 - 鍵をかけない部屋で | Podcast on Spotify

当然角煮が食べたくなるけれど、材料も時間もないので湧いた料理意欲だけを持ってお昼ごはんをつくる。冷蔵庫にあるトマトと、スライス→冷凍してあった玉ねぎなどを使ってトマトクリームパスタをつくることに。

トマトクリームパスタを作って食べる。I cooked Tomato cream pasta. - YouTube

昔のin living.さんの動画を再生しながら、彼女のレシピや調味料とは異なる過程を経て、それぞれの「トマトクリームパスタ」をつくった。in living.さんは過去にこういったレシピの説明をせず料理をつくって食べるという料理動画をたくさん出していて、私は時々それを再生しながら料理をすることがある。過去のin living.さんの一人暮らしの生活と、わたしの一人暮らしの生活が、平行線のまま隣り合うような気分になるのだ。

完成したトマトクリームパスタは、過去につくったときと同じ味であるように感じた。最近見た目が可愛い、柄の細いフォークを3COINSで買ったのだけれど、非常に手が疲れる。フォークの柄は太いほうが良い。こうやって誰かと並走するみたいな気分で料理をする日も時々あるといい。

ep.10 2011年3月の日記を読み返してみる - 鍵をかけない部屋で | Podcast on Spotify

小沼理さんの「日記を読み返してみる」というエピソードを聴いて、自分や小沼さんのように日記をつけている人々にとって、日記を書くというのは大切な行為だなと思った。日記の継続は人や状況によっては困難であったりするけれど、できるだけ自分の記録を自分のために残していきたいと思う。

私は高校時代から時々日記を書いていて、過去の日記を読み返すと、胸が痛くなることがある。それでも、今の自分が忘れてしまっていたことが、過去の自分によって書き留められていることに何度も励まされてきた。

一ヶ月と少しくらい、このブログに日記を書いてみた。この先しばらくは、実験的に自分の日記帳に書き残す形に戻してみようと思う。それを経て、またこのブログに日記を書くこともあるかもしれない。この日記は主に自分のために書いてきたけれど、読んでくださる方々に感謝しているよ。またね。