紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

ひとつの消える周辺の記録(長い)


私は偶に人間関係で消えてしまうのだが、消える瞬間の記録をしたことはなかったので書き残しておこうと思う。

長く会っていた人と私はテキストやり取りをあまりしないが、私の誕生日には毎年短い文章が届く。それが今年は無さげで、ちゃんと終わりだなと思ってたらその日の夜にメッセージと綺麗な花を撮った写真が届いた。でも直近で会う予定が断り無しに消えて、対話も駄目だったねと感じた私的にあなたはもう過去の人ファイルに入りかけちゃっているから、取り出して対応するのが少し大変だし、そもそもあらゆる人に対して早く返信するのが苦手なので数日放置していた。

今朝、「刺激がほし〜」とか思っていた頃。スマホに「ごめんなさい。許してください。」というLINEが来た。すごく冷え切った感情と、頭には憤りのような感覚を抱いて、なにより「これはもう駄目だ」という気持ちになった。

私が「(違国日記の)献身的な人間としての笠町こわい」って言ってるのはこの人の存在/この人との関係性の影響が大きい。

長く会っていた人と私は、近年は文学を共有して深く繋がっていた。文学をやりすぎてかつて抱いていた純粋な愉しさが分からなくなってしまったというその人と、文学に触れたばかりで目をきらきらさせていた私が絶妙に組み合わさったのだと思う。「あなたを見ていると純粋に愉しむ感覚を思い出せる」と度々言われていた。
文学以外にもジャズやクラシック音楽、古い映画(私は詳しくないけど)、あらゆる展示を観に行くことが好きな人だったので、そんな感じの繋がりもあった。持ち物は全て、高くても不便でも美しさ重視で好きなものしか持たない人だった。燃費が悪くて美しいクラシックカーに乗っていた。
こうやってこの人を描写するとき、綺麗に描写するということは、人間として好きだったのだろう。そういえば初めは知り合いでもない完全な他人の状態から私が好意剥き出しで押して仲良くなった。

俯瞰して関係性を見るとちょっと不均衡だったと思う。私に色々なものを見せたいというその人と、それに甘えて色々なものを見せてもらった私とで。

あれ?って思ったのは「神奈川近代文学館のこの(私の卒論作家の)特別展示観に行きたいんですよね。遠いけど」と何気なく話に出したら「じゃあ行こっか」と言われて、関東ではない場所で生活しているのに車で東京まで来て私を乗せて、神奈川近代文学館まで運転して連れて行ってくれたとき。
有難いし、事実私はそれに甘えて展示を満喫した(そしてそこで見たものをたくさん発表で使えた)わけだが、それまでの色々もあって与えられすぎの感があった。
その人は他にも色んな展示を観に連れて行ってくれるのが常だったが、当時の私は今よりも輪にかけて箱入り人間でガソリン代や高速代という存在を思い浮かべられなかったので、いつも本当にただ乗って、目的地まで喋ったり歌ったりしていただけだった。

展示を観終わった後は中華街で点心を食べて、ここがよかった!などと話すわたしの話をただ静かににこにこ聞いている。突然目を見て「どんどん綺麗になるね」とか言うし、私が帰路の高速道路沿いに並ぶラブホを見て「ホテル行かないの〜?」と言えばびみょい雰囲気になってそのまま帰されるし、そういう面のノリは合わない。だからたぶん、仕方のない気質(ロマンス的な)の違いで度々傷つけてはいたと思う。
別日、車でワインセラーに寄って、ワイン飲み比べコーナーで「坂は飲んでいいよ」と言って美味なワインを飲む私をにこにこ見ているとか、そういうこともあった。その人は大の酒好きだった。

献身(って私が認識するのも傲慢で嫌なんだけど)をされ続けると、私も相手に対して「この人が近くに住んでたら今すぐ呼び出せたのに」とか思うようになっちゃって、それって典型的な所謂セフレを呼び出す人の思考じゃんで、そういう扱いをしそうになってしまう自分に対してまた嫌だな〜ってなったりした(これは昔日記に書いた気がする)。

暫定で私は基本的に対人関係でセックスのみの関係性を築くモチベーションがなくて、友情や信頼みたいな感情があらゆる関係性(セックス関係なく)のベースにある方だと思う。
セックスのみの関係性に気力・体力を裂けない。所謂相互マスターベーションみたいなセックスは、わざわざ人と人が集合してるんだからもっと別のことしよ?と思うし、それだけなら解散して各自の方が良いでしょという考えがある。
故に、合意の上でも相互の肉体を道具的に使うみたいなのは自分には合わない。できなくはないけど合わないという感じで、だから、友情/信頼+性的惹かれ起点のセックスはあるけど、セックスしたからといって友情/信頼など特定の感情が必ずしもあるわけではないみたいな。A起点Bはあるけど、Bしたから必ずしもAなわけではないみたいな(分かりにくい)。
一回知らない人とセックスのみの関係性をやってみたとき「わざわざ人間二人集合して何やってんだろうなー(わざわざこれをやるモチベがないな)」って思った。しかし甘い感情や行為とされるものの伴いが必要なわけでもなくて(というか腕枕とか姫抱っこされるのが本当に苦手で、自分の肉体の非力さを感じて肝が冷える)、ここでも中間存在。

だからそういう、普段自分が持ち得ない思考を持つのは不本意だという、どこまでもエゴな理由でそれが嫌だった。ただ、私が性欲って感じはあったかもでそれはごめんねと思う。肉体目的で会うモチベーションが無いので肉体目的の関係性は私目線では発生しないんだけど、他者目線だとそういうふうに受けとめられることもあるのかもしれなくて、難しい。

私の好きな深川麻衣さんが葉子役で出ている映画『愛がなんだ』で、葉子は彼女のことを好きな男性・青(若葉竜也)を振り回す女性というキャラクターとして登場する。葉子は青にひどい我儘を言い、青とセックスをするが、いわゆる典型的な恋愛感情は一切見られない。青は葉子のことがとても好きで、葉子の我儘を何でも受け止める。この二人の関係性は与える側と与えられる側が明確に描かれていると思っていたけど、実際には青は葉子の傍にいたいという欲望があるから、我儘を言われることを甘受しているわけで。
別作品『違国日記』で、私は槙生に対する笠町の“望む関係性からは離れていても呑み込むから傍にいたい”みたいな気持ちがわからなくて、それはこの作品で葉子と青のそういう関係性のうまくいかなさを観たということもあるかも。
笠町は槙生の前から消えることはなさそうだが、槙生が笠町の前から消えることはありそうである。不均衡な関係性を持続するのは結構むずい。

何が言いたいのか分からなくなったが。冒頭に戻る。

あ〜本当にもうダメだ、と思った。謝られるだけじゃなくて許してくださいとか、不均衡な関係が明瞭になっちゃって本当に駄目だったんだなと思うし、こうなっちゃう自分も嫌だし、こういう関係性を構築してしまった(そうさせてしまった?)自分も嫌だ。そして、縋られると執着的なものを感じて余計に距離を取りたくなってしまう。


私の機嫌を伺うようになったら対等な人間関係は完全にお終いじゃないか。

 

酷い言葉を言ったことを謝れないままだった。

 

私は彼の前から消えることにした。