紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

だいたい夜中にあったこと

2024.5.31(夜中)

・久しぶりにFilmarksを開き、最近観た映画とかを登録。記録ハードルを低くするために普段⭐︎(評価)は付けないのだが、極端に良かった作品と極端に良くなかった作品には目印として⭐︎をつけることがある。少し前に配信で観て途中で再生停止し、その後即座に同作品を観た友人とdmで(あれはネ…)的な感想共有をした作品を思い出しつつ⭐︎1をつけて投稿したら、その友人から「いいね!」通知が来て笑った。 なぜ/どこから拒否感が生まれたのかが気になる作品ではあった。他の人間と共に寝るときにキリンジの「エイリアンズ」を目覚ましアラームにしている女性、確実に起きる気がないよねんと思う。

・寝たくないのに寝なきゃで、布団に入ってまだ一度も話したことのない相互の人が公開しているプレイリストを勝手に漁って聴く。プレイリスト聴きましたの履歴が全部つく仕組みだったらどうしよう?ではある。共通点と非・共通点。広いプールを泳ぐみたいでたのしい。キリンジの曲が結構入っていたのでその辺りをプレイリストに沿って流していたら、キリンジの曲の歌詞って基本的にベッドの上だ〜という気づきを得て、ちょっとだけイメージが変わった。

‎隣で寝てる人 - KIRINJIの曲 - Apple Music

‎雨を見くびるな - KIRINJIの曲 - Apple Music

最近は音楽を支えに生活を進めているという感覚がある。「寝たい時に寝よう」をしたいけど、意思には関係なく少し戻りゆくのが良くも悪くもな日々。

 

2024.6.1

・長く自分の中で考えていた関係性指向やセクシュアリティの在り方と現実(実践)が特に近づくようになってから暫く経った。その現実が自分にとって全く違和感がなく、むしろぴったりと自分に沿うような感覚があり、そこで改めて「私ってマイノリティなんだな」という実感を抱いている。この実践がぴったりと馴染むということは(指向の流動性は勿論あるけれど)この先もこのようにして生きてゆくことを望む可能性が高いわけであって、それ自体に対する感情は私の在り方そのものだから肯定も否定もないフラットなものだけれど、(特に他者との関係性における)マイノリティとして社会から偏見を向けられながらサバイブしてゆくのは足がすくむという方面で、少し怖いなとも思う。でも、ひとりじゃないからきっと大丈夫。

・労働終わり、『現代思想』のまだ読んでない論を読み進める。

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→以下、メモ引用。

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この論を読んで、自分の未来を悲観して気持ちが沈んでしまった(最後の方は批判に持っていかれているけど)。自分事である文章を読む際には注意が必要である。

関係性 (特定の他者や特定の関係性に対してではない。また、未来も含めた自分のすべての対人関係を指す)の曖昧な輪郭を心底望み愛しながらも、その選択を続けることによって自分は世間一般の安定や安心という状態からは遠い場に永続的に立つことになるということに対する不安はあるという矛盾がするりと上手くいかない部分で、人間だなと思い嫌になる。けど、不確実な未来を悲観するのではなく確実な現在を大切にしていこう/いくしかない、というところに感情が落ち着いた。

〈不確実〉はきっと誰にとっても不安な感情を持ち得る状態であり、人間同士の関係性における確固たる〈確実〉さは制度によって囲われて固められた場合に生じるものだと思う。今の私は、それを自分の意思で拒みたい。一日過ごす中で考えが円環した。

 

○読了(おそらく続かない、偶に現れるコーナー)

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夜中、二冊持っていた友人から貰った一冊:『Hector』(中尾太一/金川晋吾/川口好美/田中さとみ)を読んだ。私は著者や本そのものについて前情報を何も持たないまま本を手に取るという機会がとても少ない人間なので、敢えて情報を検索せず分からないまま読み進めるということをして新鮮だった。分からないけど分かりたい文章を朗読した。〈101/400〉。

・「いたわる|手を触れること、あるいはその不可能において、彼女は、はじめに失われる身体とその身体が生きた空間を、女性である自らの身体と、可能な限り同調させようとしている。」(p.34/中尾太一)

・「 内側からつつみこむように被せ られた 」(p.89/田中さとみ)

 

2024.6.2

・夜中、『私の身体を生きる』を読んでいたら自分も自分の身体について語りたくなって、いつか文章が良い枚数になったらzineなどにしようと考えている文章用のファイルを開き、身体についての長文を書き加えた。自分のことを語りたくなる本ってすごいなと思う。

・そのようなことをしていたら、0時過ぎ頃に大学院関係でやり取りをさせてもらっており、勝手ながら敬愛している他大学の先生からメールの返信が届いた。研究室訪問は公平性の観点から一律でお断りしているという丁寧な断りの言葉と、個人面談はできないけれど今後このような場に参加するので少しお話しできるかもという示唆、意欲のある人には学部生でも学会参加をおすすめしており、このような事前準備をして参加するとより実りのある時間になるはずというアドバイス、私の所属大学のこと、最後に、「〇〇(私)さんが素晴らしい卒業論文を書かれることを心から祈っています」という言葉を受け取った。長く、端々まで丁寧かつ軽やかに点検された文章。祈られた。手紙だ、と思った。他者と文章を交換するとき、結果として関心と熱意が滲み出るように伝わるとこんなこともあるのだと思った。そして、この日までに自分が相手やその学問に対する熱意と関心を感じさせる人間で在れたことを、嬉しく思った。