紺色日記

@ohsakacの未推敲の考えごとなど

"交わらない二つの世界"

書いていたら長くなってしまったので単品日記。

ふたつの世界

ふたつの世界

  • くるり
  • オルタナティブ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

くるりの「ふたつの世界」を最近またよく聴く。

アロマンティックの'くせに'恋愛の曲好きじゃん、と心ない人々からは言われそうだなあと想像上で勝手に毒づくので性格が良くない。

「交わらない二つの世界」という歌詞を聴くと、ロマンティック・ラブの感情を抱く人々と抱かない人間から見た視野は、それぞれきっと違うのだろうし、交差することはあっても本当のところでは溶け合わないのだろうな、ということをなんとなく連想する。

二元論は避けたいが、そのグラデーションの端と端に近い立ち位置にいる場合の私的な話。関係性を共有する二人以上には、その関係性をまなざすときの温度や、親密さの基準などの乖離が生じてしまうのだろうと。(全部自分の勝手な諦念でもある。)

たとえばアロマンティックの人間がある人に重い愛情や執着や欲が混じった感情を向けていたとしても、相手はその感情に「ロマンティック」さが無いという一点で「さっぱりしている」「冷めている」と捉えている可能性がある、とか。

この曲とは関係のない自分の思考と歌詞のワンフレーズが結びつくのは、私が詩としての歌詞そのものよりも心地よいメロディラインとの調和を好む人間だからだろうし、実は無関係に見えている二つの物事(曲と思考)に関係があるからかもしれない。

「見えない」セクマイだから直接的な差別はほとんどないが(存在を認識されてないからさ…)、知らぬ間にマイクロアグレッションに疲れているんだろう。毒づく自分をゆるす。