紺色日記

fiction.

わたしと、闘うあなたに向けて。

どうして人生はこんなにも困難なのか。そのような言葉が頭に降ってきた。

二次加害を受けた日の夜にも賃労働のために履歴書を書いていて、素敵な音楽を聴きに行くことも、綺麗な植物を愛でることもできない。夜だから仕方がないという囁きも頭の中で反響しつつ。

他者に裏切られるような体験をするたび、私の意識は内へ内へと向かっていく。結局真実となる部分は隠して、上辺の症状だけ伝えて薬を貰って、内面の傷は自分の手で治すのが一番信頼できるのでは、と思う。そのように思わされているのは自分のせいではないので「思う」という文末は本来適切ではないけれど、主体を自分に置いているという意識を得るために、そのような文末にする。

表面的な症状の回復は自分に合う薬の投薬によるものだが、実際に私の"傷"が回復したのは、自分でPTSDの書籍/性被害とその回復に関する書籍を読み漁ったことによる。それは自分が自分におこなった手当てであり、誰にも干渉されずに、誰にも知らせることなく、自分の内で粛粛とおこなったこと。

私はこの、自分自身による手当てを誇らしく思っている。一方で、本来は他者の手を借りる必要のある部分であるから、頑張りすぎだとも思っている。

"傷"の在り処を他者に伝えることは、大きな困難と、リスクを伴う。もし辛くてそのリスクに耐えられなかったら、真実となる部分は誰にも告げずに表面的な症状の治療を先におこなって、書籍や情報に触れられる状態まで寛解したときに、自分で自分の"傷"を手当てする、という手段もある。現実的に状況を見れば、その手段も決して否定できないはずだ。こんな社会では。

いつか、私の手当てに使われたブックリストを公開したいと思っている。

わたしと、闘うあなたに向けて。