紺色日記

fiction.

9月―第4週の日記

2023.09.24

若松英輔さんの『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』を購入した。

・「振り返ってみると私は、苦しいとき、ほとんど本能的に言葉を探してきた。文章を書くことを身に付けていないときは、あきれるほど長く書店にいた。」

・「特定の本を探しているのではない。自分でも明瞭に語れない何かとの出会いを求めていたのである。」

(若松英輔『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』、亜紀書房、2023年、19-20頁)

この部分にはとても共鳴を覚えて、まさに、書店の棚を眺める今の自分の姿と重ね合わせてしまった。

そして、ふと太宰の短編「待つ」を思い出す。語り手の少女がなにを「待つ」のか最後まで明かされないまま、「待つ」ことの焦燥や不安、期待の感情が溢れるように書かれた作品。若松英輔さんが言うような「自分でも明瞭に語れない何かとの出会い」を、太宰の短編「待つ」の少女も「待」っているのではないだろうか。そんなことを思って、久しぶりに読み返したくなった。

 

2023.9.28

眠れなくて、ベッドの上で歌集『えーえんとくちから』を読んだ。

歌集を読み終えてスマートフォンの画面を見ると、日付が変わって午前3時前。ふとカーテンの隙間から外を覗く。遠くにビルのきらきらが見えて、ほのかに明るい。強い近視だから、裸眼ではいくつもの玉のような光が揺れているように見える。その明るさが、安心する。眠れない人間も肯定するかのような夜景だ。

 

2023.9.29

辛い経験や不条理に遭ったとき、今までは悲しみの感情で覆われていたけど、少しずつ怒れるようになった。それはフェミニズムに触れたおかげ。

フェミニズムは数年前からゆっくり学んできたけれど(今も勉強中)、怒れるようになったのはつい最近、というか、今日初めて「怒れた」と実感した。画面越しに見る「怒れる」フェミニストと比較して、怒れなくてただ悲しむ自分が嫌になったことが何度もあった。辛抱強く向き合っていれば変化は訪れるものなのだなあ。

 

2023.10.1

久しぶりに弟と二人で会った。弟は最近体調を崩しがちなようで。弟がどのような感情を抱いているかはわからないが、そういうときの不安感は私にも充分に理解できる。

待ち合わせたとき、いつも両耳(と唇に一つ)に着けているたくさんのピアスがすべて外されていてびっくりした。検査のときに外す必要があることを事前に調べてきたらしい。真面目だ。

弟は私よりもずっと都心に、というか、都会のど真ん中で暮らしている。今度会ったら、東京での暮らしについて話したいな。ただ座ることにもお金がかかるね〜東京は、とか。

それでも地方で暮らしていたときよりもずっと息がしやすいのは、弟に続いて、私もそうだろう。